賀露町のみなと公園に釧路開拓移民団についての説明板があった。
そんな時代があったことなど全く知らなかった。
鳥取県と北海道がひとつになった。
賀露神社のホームページ
http://karojinjya.jp/index.php?id=106
(一部抜粋)
第6回:明治時代の北海道移住と賀露(その1)
賀露大橋のたもとに「釧路開拓移民団出港の地」と記された記念碑が立っています。
明治17・18年、政府の移住政策のもと、多くの士族が鳥取県から北海道釧路の地へ移住しました。
当時の記録によれば、2年間で100戸の士族と5戸の師範農家が賀露から釧路へ渡ったとあります。
彼らは、東善寺に集合し、三菱会社が用意した船に乗って賀露港を出港し、敦賀・函館を経由して4日間かけて釧路へ入港しました。
希望を胸に北海道に渡った移住者たちですが、彼らを待ち受けていたのは、北の大地の想像を絶する寒さでした。住居はバラック作りで畳は1戸に6畳しかなく、壁や屋根は隙間だらけで、冬には雪が吹き込み、飯や醤油なども凍ったと言われています。