登山2012年10月21日【その1】天徳寺・最勝院・木山堂・ロープウェー山麓駅跡・円護寺隋道・平和塔入口・サイノタワ(道祖神の乢)・平和記念塔・雁金山(雁金城跡)

雁金山・久松山・鳥取城2012年10月21日【その1】
円護寺隋道~サイノタワ~平和記念塔(雁金山・雁金城跡)

2012年10月21日、鳥取城跡・久松山に2度目の登山。
今回は、平和記念塔に行き、久松山の上りは北坂・下りは西坂のルート。

まず、久松山を右手にお堀沿いを歩き、湯所町へ。
雁金山(かりがねやま)に平和記念塔の輝く白が見え始める。
しばらくすると天徳寺。
昭和27年4月17日の鳥取大火で本堂などは焼けたが、
唯一焼け残ったという山門の不思議な色と形が目に飛び込む。
首里城の守礼門も思い出しつつ、門をくぐって道を渡る。

長い石段を上る。
無数の墓石が見える。
天徳寺の奥には山の斜面にまで・・・
異様な雰囲気が漂う谷だ。

医王山最勝院・木山堂
ここは高野山真言宗・医王山最勝院。
中国四十九薬師霊場四十六番(平成9年開創)、
因幡薬師霊場第一番(昭和60年代開創)の札所でもある。

木山堂で参拝。

最勝院・木山堂も、鳥取大火の際に全焼しその後再建されたらしい。
山を右手に歩き出し、深呼吸。
やっと重い空気から解き放たれて、現実に戻った。

ロープウェー山麓駅跡
少し歩くと、ロープウェー山麓駅跡(現在:鳥取市埋蔵文化財センター)に着く。


トンネル(円護寺隋道)もあり、再び、不気味な雰囲気。

平和記念塔入口
平和塔入口付近。右の石には、NHKテレビ小説「虹」。

天正年間と刻まれた雁金城の石碑。

久松山への案内板は見つからなかった。

これから上る雁金山・久松山は、秀吉の鳥取城兵糧攻め、織田(羽柴秀吉)方と毛利(吉川経家)方の戦いの場だ。
ゾクゾクしながら、現実と過去が交差する山登りのスタート。

サイノタワ(道祖神の乢)
道端にはイノシシが落葉を掘り返した跡。
しばらく上ると、山の稜線のくぼんで低くなった所(タワ)に到着。

そこには、水が濁ったイノシシの沼田(ヌタ)場があった。
この辺りは、サイノタワ(道祖神の乢)と呼ばれ、
秀吉方の宮部継潤と鳥取城側の塩冶高清が激しく戦った所らしい。

少し下ると遺構だと思う井戸のような場所があった。

写ったオーブは、左にひとつ。
戦いの場であったかもしれないが、
ここでは山を背にし、ほっとして眠っている人が沢山いた気がした。

左手に登り、平和記念塔を目指して歩く。

イノシシが気になる。
鈴やラジオも持たない自分は、時折、足音を大きくしたり、声を出したり、歌ったり・・・

無事、スンナリと平和記念塔に到着。

平和記念塔(雁金山・雁金城跡)
案内板
 平和記念塔は、昭和三十四年(一九五九)に建立されたもので、相輪十三段、高さ十六.五メートルである。
 この塔は、昭和二十七年の鳥取大火を契機に、天災地変を免れ、平和を求める市民のよりどころとなるよう、市内七十ヶ寺などを中心とする建立奉賛会が計画し、全国各市から寄せられた善意と合わせて建立したものである。
 久松山北の尾根続きに位置する雁金山一帯は、天正九年(一五八一)、羽柴(豊臣)秀吉による鳥取城攻めの激戦の地でもあり、この地に立つ平和記念塔は、長い歴史の中で、戦いや天災地変によって犠牲となった多くの人々の霊を慰めるためのものでもある。
 今日、平和への願いをこめて、夜の闇に白く浮かび、静かに市内を見守っている。
                                  鳥取市観光コンベンション推進課


塔の下には、当時の各市長の名前もずらり。


雁金山の城跡は、この先に数百メートル行ったところで、
この辺りは、砦だったらしい。



平和記念塔からサイノタワに戻る。

<ブログ内リンク>
雁金山・久松山・鳥取城 2012年10月21日
【その1】平和記念塔
【その2】北坂

【その3】西坂

鳥取城・久松山 2012年7月22日
【1~4】中坂・東坂