鳥取市_鳥取城・久松山_仁風閣(じんぷうかく)・国の重要文化財・白亜の洋館・フレンチ型ルネッサンス様式_文明開化の音_宝隆院庭園・扇御殿・楓亭・化粧の間・宝扇庵_藩主・池田慶徳・慶栄_第16代当主・池田百合子_池田家墓所

久松山には一度登ったが、
久松公園になっている麓付近は、
B級グルメのイベントに行っただけで、まだ歩いていなかった。



その一角に一際目立ち、異彩を放つ白亜の洋館=仁風閣がある。
何より「フレンチ型ルネッサンス様式」に興味が湧いていた。

仁風閣が、突然予期せぬ時に現実のものとなった。


夢の中を歩いたような・・・

仁風閣

仁風閣(じんぷうかく)の概要
・鳥取藩主であった池田仲博侯爵によって1907年(明治40年)5月に建てられた。
・明治39年9月に着工し八ヶ月で完成。建築費は約4万4千円。
・設計は赤坂離宮や京都国立博物館なども設計した片山東熊工学博士。
・明治40年の嘉仁皇太子殿下(大正天皇)が山陰地方行啓の際に宿舎として使用。
・この時随行した海軍大将東郷平八郎が「仁風閣」と命名。(その時の直筆は二階ホールにある)
・この時に、鳥取県下ではじめて電灯が灯された。
・大正時代には市の公会堂、県の迎賓館などとして使用。
・昭和18年の鳥取震災の際に煙突が落下し、スレート屋根に葺き替え。
・昭和24年~47年は県立科学博物館として使用。
・昭和48年に県から市に譲渡。
・昭和48年6月2日に国の重要文化財指定。
・昭和49年~51年に約2億円で修理復元。

木造瓦葺の2階建て、セグメンタルペディメント(櫛型破風)の棟飾り、レンガの煙突、八角尖型の塔(中は螺旋階段)、スクロール(巻軸)模様の窓台、ルネサンス様式のクラウンの飾り・・・

胸が高鳴る、踊り出す。

整然としたアプローチ。

久松山と芝生の緑。白い洋館。

心は、一気にフランスヘ飛んだ。
イル=ド=フランスÎle-de-FranceやロワールLoireへと。


久松山は、フォンテーヌブローFontainebleauの森。
堀は、セーヌ川Seine・ロワール川Loire。
仁風閣は、ヴェルサイユ宮殿Château de Versailles・フォンテーヌブロー宮殿Palais de Fontainebleau・ロワール川Loire流域の城。

いよいよ中へ。

支柱の無いケヤキで作られた螺旋階段。
通行禁止。

2階から

2階ホール
海軍大将東郷平八郎の直筆「仁風閣」

御座所
金糸がキラリ。


謁見所
カーテンボックスも見事。


中には何もなかった。砂も。

歩くと軋む音。


シャンデリアなどの照明器具のデザインはシンプル。
タングステン電球やカーボン電球で、建築当初からのものと復元されたものがあるらしい。


各部屋にあるマントルピース。

鳥取城の見える窓。

現実と過去が交差した時間。

一番気に入ったのは、1階と2階にあるベランダ。
ここなら描けない未来も見えてくるかもしれない。


外に出て、仁風閣を周った。



仁風閣から宝隆院庭園を望む。



宝隆院庭園から仁風閣を望む。



宝隆院は寺院ではなく、因幡国鳥取藩11代藩主・池田慶栄の夫人の名前とのこと。


文明開化の音がした。

●鳥取県観光連盟
仁風閣
http://www2.tottori-guide.jp/tourism/tour/view/9
鳥取県鳥取市東町2-121
営業時間 9:00?17:00(最終入館16:30)
定休日 月曜、祝日の翌日(月曜が祝日の場合は開館)、年末年始
料金 (一般) 大人150円、高校生以下無料、70才以上無料
●烏取市文化財団
国指定重要文化財 仁風閣 宝扇庵
http://www.tbz.or.jp/jinpuukaku/index.php?view=3858



鳥取城、鳥取藩池田家・・・歴史を少しググってみた。


宝隆院庭園と鳥取藩池田家

★1907年、「仁風閣」は「扇御殿1863年~1871年」跡地に建てられた。

●鳥取大学地域学部地域文化学科
無駄安留記隊
http://www.rs.tottori-u.ac.jp/ibaraki/mudaaruki/6-momijitei.html
『無駄安留記』の絵によると、宝隆院庭園裏の階段を上ったところに楓亭がある。
文中の小亭はこれにあたる。現在は荒地になってしまっていて、建物の跡も見当たらなかった(右写真)。県内の代表的な地誌には、扇御殿を取り上げているものはあったが、楓亭に関する記述は発見できなかった。その点において、楓亭を取り上げている『無駄安留記』は特異だといえるであろう。
絵中の御殿とは扇御殿と考えられる。
扇御殿は、第十一代藩主池田慶栄の未亡人宝隆院の御殿として、文久3(1863)年5月起工された。明治維新後、明治4(1871)年に御殿の大半は取り壊され、現在は庭園と宝扇庵(元の御殿内化粧の間)のみが残されている。



★「宝隆院庭園」は江戸時代の終わりに造成され、1971年に整備された。
★「宝隆院庭園」の「宝扇庵(旧 化粧の間)」は、鳥取城に遺る唯一の建造物。

(修復についての詳細は現在不明)

宝隆院庭園
・池泉回遊式の日本庭園。
・最後の鳥取藩主12代池田慶徳が若くして未亡人となった11代藩主慶栄の夫人宝隆院を慰めるために扇御殿の庭として造営された。
・扇御殿は、1863年(文久3年)5月頃に起工した。
・1871年(明治4年)に御殿の大半は取り壊された。宝隆院も居住した「扇御殿」だが、「化粧の間」を除き取り壊されている。
・池の側に建てられた「化粧の間」は、現在お茶室「宝扇庵」。
・庭園は、1971年(昭和46年)に整備された。
●鳥取県
鳥取の庭園
http://www.pref.tottori.lg.jp/74716.htm


★因幡国鳥取藩10代・11代・12代藩主

池田慶栄
・池田慶行(いけだ よしゆき)因幡国鳥取藩10代藩主 1832年5月24日(天保3年4月24日) ~ 1848年7月13日(嘉永元年6月13日)鳥取城で死去。
・池田慶栄(いけだ よしたか)因幡国鳥取藩11代藩主 1834年5月1日(天保5年3月23日)~ 1850年7月2日(嘉永3年5月23日)
・池田慶徳(いけだ よしのり)因幡国鳥取藩12代藩主 1837年8月13日(天保8年7月13日)~1877年(明治10年)8月2日


★「宝隆院」は、「11代藩主・池田慶栄」の死後、
1863年~1871年の間の何年か「扇御殿」に居住した。

宝隆院
・宝隆院(ほうりゅういん)は、11代藩主池田慶栄の夫人。
・分家(因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)8代藩主)の池田仲律の娘で慶行の同母妹。江戸の三田藩邸に生まれる。
・初名は延。母は奥女中の松江。
・1848年(嘉永元年)加賀藩前田家から迎えた11代藩主池田慶行と結納を取り交わした。
(1849年(嘉永2年) 慶栄:将軍家慶の御前で元服の式を行い、従四位上侍従・因幡守と称す。)
(1850年(嘉永3年) 慶栄:藩主になり初めてのお国入りの途中、京都伏見にて17歳で死去。)
・慶栄が死去したため、17歳で落飾し、名を宝台院、ついで宝隆院と改めた。
・12代藩主慶徳は宝隆院を慰めるため、風流を尽くした住居・扇御殿を造営させた。
・1874年(明治7年)鳥取から東京浜町の邸宅に移り住んだ。
・1879年(明治12年)5月に46歳で死去。諡号は整子(さだこ)命”


★「慶栄」と「宝隆院」の二人の墓は、池田家墓所(鳥取市国府町 )にある。

鳥取藩主池田家墓所
●鳥取県
鳥取藩主池田家墓所
http://www.pref.tottori.lg.jp/ikedakebosho/
藩主の夫人は、文久二年(一八六二)までは江戸に住まい、入国を許されなかったので、
逝去に際して江戸弘福寺の墓所に埋葬されたが、関東大震災後、昭和五年九月に鳥取の墓所に改葬された。


★現在の鳥取池田家当主は「池田百合子」氏。
旧鳥取藩主として最後の当主の可能性があるらしい。

旧鳥取藩主池田氏第16代当主 池田百合子
(明治4年(1871年)廃藩置県により鳥取県となる。)
・池田徳真(いけだ のりざね)旧鳥取藩主池田氏第15代当主 1904年(明治37年)6月16日 ~1993年(平成5年)12月6日)
・池田百合子(いけだ ゆりこ)旧鳥取藩主池田氏第16代当主 1933年~
●鳥取県
池田百合子氏、名誉会長に就任
http://www.pref.tottori.lg.jp/94159.htm
平成20年8月5日、鳥取池田家第16代当主である池田百合子氏が、池田家墓所の名誉会長に就任されました。
平井伸治理事長(左)・池田百合子氏(右)

次の機会には、宝隆院庭園をゆっくり散策しなくては。
国府町の「慶栄」と「宝隆院」の二人の墓へも・・・